プラザ合意後の円高ドル安の影響は?
急激な円高は、現在よりも輸出比率が高く、円高に対する備えもできていなかった輸出立国である日本にとっては、かなりのダメージとなりました。
具体的には、代表的な輸出産業である自動車産業はもちろん、各業界が不況に見舞われました。
この円高不況に対応するため、日銀は大幅な金融緩和策(金利引き下げ)を導入したのですが、当時は金融自由化の前であったことから、国内の金利引下げによる流動性が高まり、結果としてカネ余り状態を生み出し、それが株バブルや不動産バブルを発生させてしまいました。
プラザ合意後の金価格は?
1985年のプラザ合意後は、ドルが売られて金価格は上昇しました。
プラザ合意前のドル建て金価格は300ドル台でしたが、1987年12月にはその1.5倍以上の500ドル台まで上昇しました。
しかしながら、円建ての国内金価格については、円高が進行していましたので、2000円台半ばから2000円台割れという水準まで下落してしまいました。これは、金価格の上昇以上に、ドル/円相場で円高が進行したせいです。
また、それまででしたらドル建て金価格と円建て金価格に相関性があったのですが、プラザ合意を境に、国内金価格は為替相場の影響を強く受けるようになり、相関性が薄れてしまったといえます。
つまり、円高の進行のほうが速くなったために相関性が薄れたということです。
ちなみに、ロンドン市場で金価格が上昇したというニュースを聞いて金(ゴールド)を売ろうとしても、円建て価格は値上がりしないということがしばしばあり、多くの個人投資家が金投資は難しいと感じたようです。
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