ベルリンの壁崩壊
1989年11月9日、東ドイツ政府は東ドイツ市民に対して「旅行の自由化」を発表しました。
旅行が自由化されれば東西ベルリンを隔てるコンクリートの壁は不要になるわけで、これは実質的な民主化を意味していました。
その後、ベルリンの壁は民主化の象徴として東西ベルリン市民の手で壊され、東西ドイツは統一の道を歩き始めたのです。
ソ連の崩壊
ベルリンの壁崩壊は、東西冷戦構造の終わりを意味していましたが、その一方で、ソ連はミハイル・ゴルバチョフ大統領がペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)を掲げて改革に取り組んでいました。
しかしながら、抵抗勢力の力が強く、なかなか改革は進みませんでした。1991年8月、改革派のゴルバチョフに対して、改革反対の守旧派はクーデターを企てます。
ところが、これがソ連の中心である当時のロシア共和国のボリス・エリツィン大統領を先頭にした市民の抵抗により失敗に終わると、反対にソ連崩壊を招いてしまったのでした。
アメリカの一極支配
それまでは、アメリカとソ連の2か国で実質的に世界を支配していたわけですが、その2国のうちの1国が消滅してしまったことで、アメリカの一極支配が強まりました。
これにより、アメリカが主導する市場経済化が進むのですが、これは、西側諸国のみならず、ロシアをはじめとする旧東側諸国や中国、インドのような新興諸国も市場経済に組み込まれていきました。
これは要するに、ドルの受け取り手が増えたということであり、またドルの基軸通貨としての地位が一段と高まったということでもあります。
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